ライバル視vs仲間意識

天国と地獄の食事事情について聞いたことがあります

天国では食事の時に長い長い箸を使っていて、そのままでは自分で食べられないので、目の前の人に食べさせてあげる、

地獄では、その長い箸で独りで食べようとするんだけれども自分一人だけでは食べられないので悪戦苦闘する
(どこかの宗教のいつわより)というお話です

コレを聞いた時、

助け合いの話やん💖独りはさみしいよな!ええ話やんっ💖て感動したんですよね~

こんにちは! 人助けというワードには敏感な湊馨です


これって今日のテーマでもある

ライバル意識と仲間意識の差が結果として、如実に現われたお話なのかなぁって

考えます


楽器が上手に弾けるのって キャリア ✖ 才能 だと思うんですよね。


才能はもうね、致し方ないとして、

練習すれば何とか上手な人に追いつけるんじゃないかって考え、一生懸命練習する。

で練習して上達していけば、自分と同じレベルとかちょっと前に行ってるライバルには追いつきたい!勝ちたい!と考えるようになるんじゃないでしょうか?


特に競争社会で生きてきたタイプの人や負けず嫌いの人は、よりその感覚が強まるんじゃないのかな?と思ってます。

私は戦後の高度経済成長期に成長したせいか、めちゃくちゃ負けず嫌いです!

人からバカにされたくなくて、誰よりも上達したいという意識でこ10年、練習に取り組んできました。

そのころは、失敗や劣っていることを指摘されることが嫌で嫌でしょうがなかった。

とにかく、見返してやるんだ~🔥という、気持ちを抱えて 独りでガムシャラになってやってました。


最近は歳をとって丸くなったからなのか分かりませんが、
なんとなくライバルに勝つというよりも、自分の練習量や質を上げていくことで、以前の自分より上手くなることを目指したり、

仲間内とのセッションや先生と一緒に弾く練習の時の、
うまく合致した!とか音がバッチリあったなー💖っていう感覚の方が楽しいと思えるようになってきてます。


実際、どんなに練習しても、上には上がいてキリがないし、下を見ればやっぱりキリがないです。

自分より上手とか下手とか考えていると、追い越されることが怖くなるかもしれないし、純粋に長唄、三味線が楽しめないんですよね~😂。

「音を楽しむ」と書く音楽、楽器は「楽しむ器」


音を楽しめる器作り(人格作り)を、この三味線で通してさせてもらえるとしているならば、とても幸せなことなんじゃないかなと感じています。


そして、ライバルに勝つというよりも、ライバルと思える人に対して、どれくらい、ふさわしい自分になれるかっていうことものほうが、モチベーションになるように、感じてきています。



ここまでご覧頂いたあなたにお伝えしたいことは、
もしみんなで楽しく一つのものを作り上げたい、フュージョンを感じたいという方は

ココじゃなくてもいいので、ぜひスポーツや楽器など仲間で楽しめるものにチャレンジして欲しい!ということです。

また、心を丸くするような精神的な修行をしてみたいと思われる方は、この長唄・三味線を通してならできると思いますので、ぜひチャレンジしてみてください。

いつでも体験レッスンへの、ご参加をお待ちしております

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