私にとって三味線とは
私の母が、私に三味線を習わせたのは女の手に仕事を持たせるための一つでした。
こんにちは、勝勢蓮でございます。
私が子供のころは、今のように女性が誰でも仕事を簡単にできる時代ではありません。
そんな中、髪結いや三味線が弾けることは、昔から女性が一人でも生きていける職業です。ですから母は、どんな状況になっても、困らないようにと子供の時に長唄と三味線を習わせてくれたのでした。
その母とは、若い時分に別れ別れになっています。
私にとって、三味線は母との想い出。
母への思慕なのです。
ですから、どんなにつらいことがあっても、やめられません。
実際に辞めたくなる時もありますし、人生の中では時間や心の余裕がなくて、手につかない時期もありました。
しかし、
やはりというべきなのか、結局は、また手に取っているのです。
ありがたいことに、お蔭さまで、長い間、生徒さんがずっと切れずに来てくださいます。
そのため、やらざるを得ないことも事実です。
ですが、
このことこそが、母の導きと思い、母の為に頑張ろうと精進しております。
今後も、海田長唄・三味線教室をよろしくお願いいたします
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